散歩と冷蔵庫
2021/05/04
今年のゴールデンウィークはまったく集中力を欠いていた。あらゆる感覚が鈍ったまま、設定しっぱなしになっていた7時半のアラームを止めた。二度寝して11時前に起床し、ぼうっとしながら着替えた。外に出ることにした。
青空と雨雲が同居した春らしい天気だった。口笛を吹けない人が吹いた口笛のような風が吹いている。よせばいいのに、雨雲レーダーを5分おきに確認しては、こちらの方向に進むと雨に降られるぞと進路を変えるなんてことをしていた。疲れてきたので適当な喫茶店に入り、煮詰めた草の底溜まりのような味の自家製コーラを飲んだ。帰宅することにした。
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鍵を開け、窮屈なチノパンを脱ぎ捨てた。適当に手を洗い、キッチンに戻ると、気の抜けた白のスパークリングワインが目に入った。美味しい食事すらできない夜ならと思って、近くのスーパーマーケットで適当に買ったものだった。人が一生のうちに分解できるアルコールの総量は決まっているなんて噂を耳にしたことがある。吸収し、分解し、破壊し、排出する。高田馬場のとある花壇は、人の吐瀉物のせいで花が咲かないらしい。自分は吐くほど酒を飲んだことはないが、吐いている友人の背中をさすりながら、人はどうしてこんな強酸を生成しているんだろうと思ったことがある。
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去年も今年も、ほとんど外出しなかったし、ほとんど人に会わなかった。もともと友人は少ないけれど、輪をかけて誘いは減った。このようになれば一層、コミュニティで音頭を取る人がいなければ、あるいはいたとしても、再度集まることは遠ざかっていく。同級生の何人かはすでに25になった。昔の言葉で言えばクリスマスケーキの時期で、結婚報告もちらほら聞く。我々は生活という脆弱な構造物の上をひた走りながら、ゆるやかに解体されていく。駅前のロータリーで別れてからすごく時間が経ってしまったから、久しぶりに話すと、僕らはすでに後戻りできない地点まで走ってきたんだなという感じがした。
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深夜、寝られずにもう一度外に出た。どの店も、軒先に白い貼り紙を出しながら静まりかえっていた。いまの夜は冷蔵庫の中みたいにしんとしている。