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コロナウイルスの勉強で使用した本

2020/12/29

新型コロナウイルスの最初の症例が報告されてから約1年が経った。社会情勢が混迷の一途を辿っているなか、すでに我々から失われた記憶も多い(自分も旗国主義とか忘れていた)。どうせコロナについてはどこの機関にいても訊ねられることなので、何があったのかに答えるため、少しずつ関連書籍を棚卸している。この記事はそれをまとめている。発生直後に書かれた本などは、上澄み戦略で利益を取ろうとしているため、トンデモ本が多い(中国陰謀論とかね)。そういうノイズを排してまとめているつもりだ。

実際はもっと読んでいるが、網羅的なものを挙げている。また、普通に報道発表資料、政府刊行物、新聞社の記事なども見ている。ちなみに、noteなどにある記事もいくつか読んだが、やはり玉石混交という印象で、同様にリテラシーが求められる。あと、これからのビジネスはこうなる的な本は読んでない。バフェットすらわからんって言ってるのにわからんと思う。むしろ、その基礎となる物差しの提供をしているものを紹介するようにしている。

執筆時が2020年12月末であることに注意されたい。

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竹中治堅『コロナ危機の政治―安倍政権vs.知事』

この本はコロナ危機における日本政治の動きを、国政と地方政治の相克の点から描いている。

おもしろいのは、政治アクターの関係性や各国、各地方(たとえば北海道)のモデルを交えながら「キャパシティー」という概念を導入している点にある。病院、検査所、保健所、検疫所のキャパシティーを検討するなかで、キャパシティーが制限されながら為政にあたった日本政治の姿が浮かび上がる。こうした検討は、首相支配と地方分権の背反な力学関係の齟齬と限界に収斂していく。

過程で法律の検討もおこなわれるが、非常に平易な文章で書かれていて、専門用語も少ない。なにか一冊と聞かれたら、とにかくこれを読めばいいんじゃないかと思う。

西田亮介『コロナ危機の社会学―感染したのはウイルスか、不安か』

上の本は、政治アクター間の関係といった社会のウワモノに着目したのに対して、こちらは民衆にも注目した。

ここでは、「感染の不安/不安の感染」という(やや言葉遊びではあるが)循環構造によって、被害者意識の拡大を含む社会の動態を説明する。また、WHOが宣言した「インフォデミック」の危険などにも言及しながら、「耳を傾けすぎる政府」と「イメージ政治」の駆動として現代をまとめる。この総括は、筆者の既存の著書(たとえば、『情報武装する政治』)とも通底しており、ある意味で民主制の陥穽を描いている。

この本が上梓された時期的に仕方ないが、やや分析は限定的と言わざるを得ない。しかし、マスクの転売といった、一般人が特に影響を受けた身近な事柄についても説明を与えており、その意味で社会学的である。

岡部信彦・和田耕治『新型インフルエンザパンデミックに日本はいかに立ち向かってきたか―1918スペインインフルエンザから現在までの歩み 』

上の本は(というか現状出ている本のほとんどが)、いまの新型コロナウイルスの分析であった。しかし、示唆を得るためには歴史を鑑みる必要がある。

この本は、過去のパンデミック、とりわけ2009年の新型インフルエンザパンデミックについて詳細にまとめている。当時のタイムラインと、空港を含む民間、政府、地方議会の対応についても言及されている。また、ジャンル的に衛生・公衆衛生学、感染症学の本なので、症状などの詳細な説明や、ウイルスの感染経路の検討も含まれている。むしろ、コンサルあるあるの、文系的なアプローチだけで実際的な話が含まれていないやつに一石を投じる点で、おもしろいかもしれない。

専門書なのでやや高価である。また、その割に内容は事実羅列的で、独自の分析があるかと言われればそうではない。しかし、過去の事例を参照する際には、むしろこのような形式の方が好ましいとも言えよう。少なくとも、Wikipediaよりはよくまとまっている。

平川幸子「新型インフルエンザワクチン接種事業の政策形成に関する事例分析」

これは論文。普通にCiNiiとかで読める。上の本に付随して、2009年の政策過程についてまとめられている。

おもしろいのは、特に厚労省を中心としながら、内閣官房、財務省、有識者、地方議会、保健所などとの相互作用関係を図示しているものだ。当時は民主党政権だったが、各々の役割分担が明確でなく、それゆえにむしろ解決されたことなどが分析されている。ちなみに、この論文は2017年に執筆されたが、内閣官房のトップダウンによる誤謬について言及されている。竹中によって言及されたものでもある。

ちなみに、「急激な危機への対応」と広くとって、東日本大震災による原発事故への対応と比較してもおもしろい(単純に比較できないが)。ここでも、危機管理室、東電、福島原発所長との緊張関係があった。イラ菅って言葉もありましたね。ちなみに、こうした側面がむしろプラスに働いたのではないかという指摘(たとえば、いわゆる「民間事故調」)も存在する。事後になるほど、トップダウン的な、標準的でない手続きによる解決が肯定されるのかもしれない。

査瓊芳『武漢支援日記―コロナウイルスと闘った68日の記録』

これは想像力のためのエッセイ。

上海の医師が、ロックダウンされた武漢の病院でつけていた日記で、学術的な分析は加えられていない。しかし、中国の事情を知るための貴重な文献となっている。まだ中国では出版されていないらしい。

あくまで日記なので、当局への配慮が随所に見受けられるが、医療従事者がどのような気持ちで事態にあたっているかが垣間見える。困難にあたる医療従事者への手厚い官民支援がわかる(タピオカとか飲めるみたい)。医療従事者は本当に大変であるなあと感じ入る。

ちなみに、やはりと言うべきか、この手の本はレビューが荒れる。知らんけど、人それぞれでいいと思う。

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他にも、読み物としては大澤真幸と國分功一郎の『大澤真幸THINKING「O」第16号 コロナ時代の哲学 (大澤真幸THINKING O)』などがちょっとおもしろい。一応、読み物としてとどめることを推奨する。

経済学に関しては、いろいろ読んだが、どれもうーんという感じ。しばらくしたら追記するかも。

コロナ危機は、ある意味頭のトレーニングに適している。あらゆる利害関係が衝突する場で、我々は何ができるか。「命か、経済か」という二項対立が基調になりつつあるが、これらは対置されるものなのか。どこまでを関心の射程に入れるべきか(翻せば、「XXについて言及していないからお前はフェイク」という批判?をどう扱うか)。どうなんでしょうねー。

khosoda